境内にある石のお地蔵さんの顔に、セミの抜け殻がしがみついている。台座の部分まで含めると、高さは2メートルにも達するであろうか。「よくあそこまで登ったなぁ」と、セミの根性には感心させられてしまう。お地蔵さんにしてみれば、足元からせっせと這い上がってきたセミの幼虫が、まさか自分の鼻先で羽化し始めるなんて思ってもみなかったであろう。苦笑いしながら「こりゃまいったなぁ」などとつぶやく声が聞こえてきそうだ。
もしこれが博物館に展示されている仏像ならば、「とんでもないことだ!」と直ちに抜け殻を取り除くだろうし、そもそも虫が入り込むことはない。しかし、もともと屋外に安置されている石のお地蔵さんは、日頃から自然の中にあって草花や虫・鳥などと戯れながら、まるで野にいることを楽しんでいるような、そんな雰囲気をもっていて親しみを感じるのである。
どこかでこんな昔話をきいたことがある。村の子供たちが、石のお地蔵さまの周りでワイワイキャッキャと騒がしく遊んでいる。いつもこの場所を参拝している大人が「お地蔵さまの傍で騒ぐな!別の場所で遊べ!」と子供たちを叱った。ところが夜になって、その大人の夢枕にお地蔵さまがあらわれて、「せっかく子供たちと楽しく遊んでいたのに、なんで邪魔をするのか!」と逆にその大人を叱責した。それからというもの、このお地蔵さまの周りには子供たちの遊び声が絶えなかったそうだ。
江戸時代になると、産業が発達し、人々の心にも少しずつゆとりが生じて、地域の中での相互扶助や助け合い、困窮者への救済などの習慣が広がった。そして、さまざまな悩みを抱える人々の心のより所として、神仏への信仰がより盛んになり、村の入口や辻などにたくさんの石仏(神さま・仏さま)が祀られるようになった。このように、地域の平穏と人々の幸せを願って建てられた石仏には、悩みを抱えながらも懸命に生きてゆこうとする人々にそっと寄り添うような優しさと親しみが具わっている、と思う。そういえば、「笠地蔵」とか「田植え地蔵(鼻取り地蔵)」という昔話も有名だ。
石仏は、太陽に照らされ、風に吹かれ、雨に晒されたとしても、またたとえ雪が積もったとしても、多少のことでは動じない。長年の風雪に耐えながら、いつも変わらず我々のことを見守ってきたのである。そして、昔の人々の願いを胸に懐きながら、今もなお私たちの傍にいて応援してくださっているように思う。
(副住職孝善)※今後も箕輪近隣の石仏を紹介します