港北区災害ボランティア連絡会主催 旭市災害対策見学ツアーに参加してきました。旭市災害ボランティアセンターの活動状況を分かりやすく説明していただきました。少人数のスタッフで、短期間、集中的に外部からのボランティアを受付し、ニーズにあわせて派遣し、すばやく瓦礫の撤去が完了したそうです。大変参考になりました。
いいおか津波を語り継ぐ会会長、仲條さんには被災体験談を熱く語っていただきました。とにかく早めの避難を。それが減災の一番の近道と何度も繰り返しおっしゃっていました。
旭市でこんなにも大変な津波の被害があったとは、実は全く知りませんでした。今回の視察見学で、改めて東日本大震災を思い出し、防災、減災について気を引き締めて取り組まなければと思いました。
奥山ゆかり
9月17日(水)港北区役所近くに朝8時集合!!港北区災害ボランティア連絡会主催の「旭市災害対策見学ツアー」に行って来ました。大型バスの座席は、災ボラスタッフ・社協&ケアプラ&どろっぷ職員・各地域の町内会役員さんたちでいっぱいでした。
社会福祉協議会の職員の方からは、「ボランティアも職員も被災者になるので、外部の力を借りなければならない。それが災害ボランティアセンターの役割だ」と、避難所に対するボランティアの受け入れから、助かったこと、困ったこと、反省点、迷惑ボランティアの存在までお話を伺いました。
6町会の防災訓練でも、毎年のように箕輪の斎藤副会長が「私達も皆さんと一緒の被災者になります。だから立場はみんな一緒なんです」と繰り返し口にしていますが、まさにその通り。自分たちの町は自分たちで守りたいが、それもできない状況に陥ったら、外部の力を借りなければならない。今後はその受け入れ態勢も整えて行かなければならないだろう。
仲條さんからは「早めの避難に勝る防災なし!」とのお話を繰り返ししていただきました。
平成23年3月11日、午後2時46分東日本大震災発生。海辺の人達はみんな「津波がくる!」と思ったので、高台に避難。第1波は午後3時40分頃に堤防を越えて来た。50センチくらい。
「52年前に経験したチリ津波くらいの感じだった」その後1時間後に押し寄せた第2波は、堤防を越えてこなかったので、多くの人が家に戻った。そしてまさかの第3波。それは予想もしていなかった大津波だった。午後5時26分のこと。写真の時計はその時刻を指しています。
津波で亡くなった方は、旭市で13人。今もおふたりの方の行方がわかっていません。
今回、港北災ボラが旭市の視察を企画したのには、『忘れられた被災地を作らない』という思いからだと聞きました。車で3時間程の場所の千葉県で、このような大きな災害があったとは、行くまで知りませんでした。マスコミ報道も殆どなく、忘れられた被災地となったからです。
九十九里浜は工事車両が入り、大規模な工事が進められていました。大海原は何もなかったように、遠く水平線まで波穏やかに広がっていました。1日もはやく行方不明者の方が見つかりますように。住民の方々が安心して暮らせるような街作りが完成しますように。
さあ、いよいよ今週末が自分達の町の防災訓練です。身を引き締めて参加したいと思います。
文・写真:RIKO